タキシードの歴史
結婚式や夜のパーティーくらいでしか着ることのないタキシードだが、そもそもタキシードはどうして生まれたのか、何故結婚式で着るようになったのか気になる方もいるだろう。ここではそんなタキシードの歴史を紹介している。前編は19世紀後半のヨーロッパの事情を、中編はそれから10年後のアメリカの発展を、そして後編では現在のタキシードへの進化について紹介しよう。
タキシードの原型はスモーキングジャケットという部屋着
1870年代のヨーロッパの貴族の服装は決まって「テールコート」と呼ばれる丈の尾が長いジャケット(いわゆる燕尾服)が主流だった。そんな中、ドイツやフランスの社交界やカジノでショールカラー(日本語でいう”へちま襟”)とよばれる着丈の短いデザインのジャケットが流行(ガウンのようなもの)した。
それは自宅などの部屋でくつろぎ、シガーを喫煙する時に着るために作られたので「スモーキングジャケット」と呼ばれていた。リラックス着としての用途から、使われていた生地はベルベット・柔らかいカシミア・メリノ・フランネルなど全体的に起毛感があって、柔らかく上質なものであった。色は明るく華やかな色柄が主であった。
オシャレの代名詞 皇太子エドワード七世による拡散
そんなスモーキングジャケットは1876年以降に大きく世に広まることになった。当時のイギリス皇太子であるエドワード七世がイギリス南部の高級リゾート地である「ワイド島カウズ」に立ち寄った際、このスモーキングジャケットを着用したのだ。
ファッショニスタとして有名であった彼は、このファッションを自身の着こなしへ取り入れ「ディナージャケット」と考案し、パーティーなどで積極的に着用した。次第にその着こなしは周りの他の貴族達に注目される事になり、どんどんイギリス中へ広まっていったのだ。
エドワード7世は他にも多くの衣装を考案した
現代では芸能人やモデルがファッションの流行を作り出すが、150年も昔は貴族や上流階級の人間がその役割を担っていたのだった。その中でもイギリスの貴族のファッションリーダー的存在だったのがエドワード7世だった。実は現在も結婚式などで見かけるフロックコートも、自身が着ていたデザイン(プリンス・アルバート・フロックと呼ばれる、身頃がダブルのコート)を流行させたほど。
その他、今では当たり前となっているパンツにセンタープリーツを入れる流行、グレーのチェック柄、ハンティングジャケットも彼が流行させたと言われている。スモーキングジャケットを着たいがために完全禁煙であった宮廷を即座に全面喫煙可にするほどで、ここにもこのスモーキングジャケットが歴史に名を刻み、発展してきた理由であろう。
ただしエドワード7世がきたスモーキングジャケットは、まだ現在のタキシードと呼べるデザインでは無かった。これからもう少し先の時代に、ここで触れたスモーキングジャケットスタイルが次はアメリカで進化していく。